本帰国にあたって思うことその1。英語。

b0112009_11202779.png
小さいころから公園で泥んこになりながら遊ぶのが好きなタイプだったので、英才教育とは無縁な幼少時代でした。英語に関しても、英会話を習うといったような特別なことはせず、同級生と全く同じように、中学校、高校と義務教育の一環としてフツーにフツーの英語を学んできた…だけといえばだけなんですよね。イズディスアペン、ノーイットイズントと先生の後をついて復唱していたわけですよ。英語が苦手科目だったわけではありませんし、学校のテストでもそこそこの点数は取れていたんですけれど、実際にそれを使って誰かとコミュニケーションする場があったわけでもないですからね。高校の時に「あー…このままいっても英語を話せるようにはならないだろうなぁ…」「どちらかというと苦手意識が残るかも…」「英語が話せない、というのがいつか自分のコンプレックスになってしまいそうだなぁ…」と漠然と感じたのは覚えています。

なので、全く別の理由で「大学は、アメリカに留学するという選択肢もあるかな?」と思い始めたときに、「ついでに英語を一度本気で勉強するいい口実にもなるじゃないか!」とも気が付きました。アメリカへ留学するとなったら英語やらないわけにはいきませんからね。自分を「やらざるを得ない」崖っぷちに追い詰めて、必死で全身全霊全力かけてやって、なんとか壁を越えてえいやっと話せるようになっちゃえばこの「将来コンプレックスになるであろう種」を未然に摘んでしまえるじゃないかと思ったんです。

ここらへんのロジックは今思い返してみても、「なかなか先見の明のある17歳だったな」と自分を褒めたくなります。言い訳のできない環境に自分を追い込んでおいてよかった。おかげで今、英語の文献を読むことを苦痛には感じませんし、英語でスピーチしろと言われて冷や汗をかくこともありませんし、英語で道を聞かれても(なぜか日本でよくある)ドギマギせず「あの背の高い茶色い建物の向かいあたりっすかね」と教えることができます。別に英語ができるから自分は他人より偉いわえっへんと言ってるわけじゃなくて、自分自身の中で「英語ができない」ことを言い訳にしたり、足かせにしたりして自分のやりたいことに対して躊躇したり、卑屈になったりすることがなくて良かった、と思うのです(まー英語以外の理由で卑屈になることは相変わらずありますけども)。

私は日本でフツーに育った日本人だったので海外に出るまでは気が付きませんでしたが、もうひとつ喋れる言語があるというのは純粋に、本当に、面白いことです。今私の脳は「日本語脳」と「英語脳」、それから「非言語的思考脳」みたいな三部構成になっていて、日常生活を送っているときはそれなりにその全ての部分にてらてらと血流が流れているのですが(日本の番組のDVDをバックグラウンドに流しながら英語で仕事したりしてるから)、例えば英語で面白い論文を見つけて「おっ?おっ?」と夢中で読んでいるときなんかは「英語脳」に血がめきめきと流れて活性化されていくのが分かるし、日本に帰国して日本語で講義をしているときは「日本語脳」がこれまためきめきと覚醒してくるしで、その「脳の言語スイッチが切り替わる感覚」が楽しいんです。英語で深い深い思考をしているときは日本語が邪魔に感じますし、日本語で美しい文章に触れているときは英語脳はちょっと黙っとけ!となったりします(笑)。どっちにも、浸かりたいときにどっぷりいける感覚が楽しいんです(…とかいって、ぼーっと考え事しているときに急に逆言語で話しかけられると日本語と英語が混ざった自分でもよくわからない言語が口から出ることがありますが)。物事の表現方法も日本語と英語では違いますし、考え方を二通り抱えて生きているような気分にもなります。バイリンガルの人は喋る言語によって性格が変わる、なんて聞いたことがありますけど、それは本当にそうなんじゃないかなと思いますね。

とはいえ、世界各国で話されている言語は何百、一説によれば何千とあります。英語が全てじゃありませんし、英語以外にももうひとつくらい言語が喋れたらなー、勉強する機会があればなー、と私も妄想してみたりもします。でも、英語を習得した経験から、「そんな生半可な『喋れたらいいな』程度の気持ちでは一生もうひとつの言語を習得することはないだろうな」ということくらいも分かります、分かっちゃいます。いろんなタイプの人間が世の中にはいるのでしょうけれど、あくまで作られたバイリンガルの私は生まれつき言語センスが特出しているわけでもないので、言語を習得しようと思ったらその言語環境に自分をimmerseしなければ無理です。5-6か国語とか喋れる人ってすごいですよね、そういう人の脳みそ、覗いてみたい…。
b0112009_11273938.jpg
日本人は英語ができない。
このレッテルは我々自身が作り上げているもの。アメリカ人はカタコトかどうかなんて気にしない。完璧にやろうとせず、失敗を恐れず、伝えたいという意志を持つことだ。めちゃくちゃな英語でもとにかく自信を持って話せ!…という日本人向けの文章を目にしたことが何度かあります。これは、例えば海外の人と一緒にホームパーティーに参加する、とか、留学生として授業に出席する場合だったらその通りだと思います。間違いを気にせず、伝えたいという意志を全面に出して、ガンガン適当でもとにかく話しちゃえばいい。

しかし、これはあくまで自分がお客さんの立場や、相手と対等の立場の場合にのみ「acceptable」なのであって、自分が海外でプロとして仕事をしている(もしくはしようとしている)ときにカタコトの英語では絶対にダメだと私は思います。カタコトの英語だから話を聞いてくれないヒトなんて実際は沢山いますからね(カタコトでも話を聞いてくれるって、相手が自分に興味を持ってくれているって前提で成り立つものじゃないですか)。

医療職であるAthletic Trainerも、教職としての大学教授も、相手あっての仕事です。患者さんに、学生に、伝えたいことを明確に伝える、プロとしてプロらしくどっしりとした自分を見せる、相手に安心感を与え、この人は信頼できると感じてもらい、質問があるなら遠慮なくぶつけてもらえる環境を作る…ということができなければ話になりません。それを自分は日本人だから日本訛りが強くてもいいんだ、カタカナ英語でもいいんだ、というのは自分へのハードルを下げているだけだと思うし、それでアメリカ人と対等やそれ以上のお給料をもらおう、ビザをもらおうなんて考えは甘いとも思います。カタコトで話されたらどんなに賢い人でもやっぱりuneducated, unconfidentに見えるし、信頼は得難いものですから。つまるところプレゼンテーションの問題だと思うんです。それなりの知識と技術を持ったプロとして、「自分」という人間のプレゼンがうまくできてない、ということになるじゃありませんか。

私は18歳という、言語を新たに習得するには遅すぎるタイミングで渡米しました。16年間の米国生活で発音や言い回しはそれなりに上達したつもりではいますが、やはりどうしても抜けないアクセント(訛り)というのがあり、なかなかどうしてネイティブのようには完璧には発音できません。渡米以来、とにかく周りの発音を聞いて一生懸命真似したし、覚えたフレーズはとりあえず使ってみたし、現在でも発音のややこしい単語を授業で言わなきゃいけないときは事前にインターネットで発音聞いて、こっそり幾度も練習してから授業に臨みます(笑)。その裏には、やっぱり「ネイティブみたいな完璧なアメリカ英語を話したいんじゃー!」というエゴがあるんです。そういうエゴやプライドも、立派な学習動機としてアリだと思いませんか。それを、「完璧なんて目指さなくていい、日本人丸出しの英語でもいいから話せ」と、わざわざ否定することもないと思うんですよ。アメリカでそれなりに腰を据えて勉強・仕事をしようと思っている若い子たちは、「どうせ日本人だからキレーな発音や華麗な言い回しはできっこない」ではなく、「ネイティブみたいに英語喋りたい!」というしっかりとしたエゴを持って、完璧な英語目指して、毎日少しずつ努力を重ねていってください。おねーさんは応援しますよ。高みを目指すのは悪いことじゃない。

つまり何を言いたいかというと、ここまで習得しかけた英語、日本に帰国して忘れたくないなーと…。恐らく今のように日常的に英語で講義をする、ということはなくなるので少し不安です。帰国された皆さん、英語力維持のためにどんなことをやってらっしゃるんでしょうか?英会話教室でも通うのが一番確実でしょうか。駅前留学、しようかな…。自宅で英語のドラマや映画DVDを流す、とか?ちょっと工夫しないといけませんねー。

[PR]

  by supersy | 2018-02-05 11:15 | Just Thoughts

<< キツツキは脳振盪にこそならない... 日本に帰ることにしました。と、... >>

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE

AX