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意識消失した患者の舌をひっぱる必要はあるのか。

救急医療のスタンダード化の重要性を強く信じている医療従事者のひとりとして、どうしても書き記しておきたかったので、この記事を残しておきます

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事故発生時の動画リンク: https://www.youtube.com/watch?v=xTNMLv0Srvg&t=3s

3月2日、スペインのサッカープロリーグの試合中にフェルナンド・トーレス選手が後方から接触を受け意識を失って倒れ込み、同チームの2選手が即時に舌を引っ張って対応する、という出来事がありました(↑上動画)。2選手の反応の速さにも驚きましたが、私が一番ショックを受けたのはこの記事で(↓下リンク)担当医師がこれを「完璧だった」と称賛したという点です。

トーレスの命救った2選手…医師が称賛「意識を取り戻すのにしたことは完璧だった」

味方の急変に対して救急性を感じ、即座に行動した2選手のhumanityは高く評価されるべきであると思うのですが、医療的観点という角度から、私はこの対応を必ずしも「完璧」ではない、むしろ、下手をするとトーレス選手の命を危険にさらす可能性もある行為だったと考えます。選手がチームメイトの危機にいてもたってもいられなくなり、行動を起こしたその勇気と、その行動の内容の正当性はきちんと分けて、別次元で話されるべき事柄なのではないでしょうか?この記事では、医学的観点から、本当は何がなされるべきだったのか、もしそんな場面に選手や指導者が出くわすことがあればどうするべきかをまとめておきたいと思います。

●頸椎損傷の可能性
受傷時の動画から見ても、トレース選手が後方からの接触で頸椎を損傷していた可能性はこの時点で否定できません。少し大げさな表現になりますが、万が一頸椎の骨折や脱臼などが見られた場合、患者の頭部や首をほんの少しでも動かすことは「死」をも意味します。骨折や脱臼で不安定になっている骨(↓下MRI画像)が、動いた拍子に脊髄を傷つけてしまう可能性があるからです。だからこそ、我々医療従事者は「意識消失している患者は全て頸椎損傷があると見做し、即座に頭部・頸椎固定。最新の注意を払って迅速丁寧にスパインボーディングをすべし」という徹底した教育を受けています。常に最悪の状況を想定し、それを考慮して対処する習慣を叩き込まれているのです(実際に頸椎骨折を受傷したスポーツ選手が、現場にいたアスレティックトレーナーの適切な頸椎固定で九死に一生を得た、などというエピソードも毎年のように耳にします。彼らは決まって病院で医師に「動いていたら死んでいたよ」と言われるようです)。
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ですので、この受傷シーンの本当に正しい対応は下写真左(↓)にあるようにひとりの医療従事者が即座に頸椎を固定することです。そうして選手に声をかけ、意識が確認できない/頸椎損傷の可能性が除外できなければそのままスパインボードに患者を移動(↓下写真右)、頸・胸椎及び脊髄を固定した状態で病院へ搬送するべきでした。スパインボーディングのテクニックについてはこのブログでは割愛します。興味のある方は以前の記事をご覧ください。
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●頸椎損傷の疑いが除外でき、意識消失が見られる場合
(この状況では臨床的に不可能に近いと思いますが)仮にトーレス選手の頸椎損傷疑いが100%除外できたとして、その上で意識消失の対応を迫られているとしましょう。次にすべきはHead tilt/chin lift (頭部後屈頭部挙上法)という頭を後ろに反らし、顎を上げるようなポジション(↓下写真右)を患者に取らせながらの呼吸と脈の有無の確認です。…というのも顎を引いた通常の状態(↓下写真左)で意識を失うと舌根が沈下して気道を塞いでしまい、呼吸が停止する恐れがあるんですね。それを防ぐために、頭を剃らせ、顎を前に突き出すことで舌を浮かせて、気道を確保するのです。
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トレース選手に対応をした2選手は、恐らく「気を失うと舌が沈下し、気道を塞ぐことがある」という知識はしっかりあったのでしょう。だからこそ「指で舌をつかんでひっぱりあげる」という行為をおこなったのでしょうけれど、実はその必要はないのです。おでこと顎に手を添えて、頭部を反らせるだけで十分なのです。患者の口に不用意に手を入れるという行為は、感染症の危険性、誤飲、患者のgag reflex(咽頭反射)からの嘔吐、意識を取り戻した際に指をかまれるリスクなど、状況を悪化させてしまうかもしれない不必要な危険を伴うので、すべきではありません。

●頸椎損傷の疑いがあり、意識消失が見られる場合
頸椎損傷の疑いが否定できず、なおかつ意識消失が見られる場合(恐らくこれが今回の事故のシナリオだったかと思うのですが)、頸椎を動かさずに気道を確保する必要があります。この場合は、頸椎を固定した状態で顎だけを前に浮かせる、Jaw Thrust(下顎挙上法)という特殊な気道確保法を用いなければいけません。このテクニックは訓練を積んでいない方がおこなうことは推奨できませんので、敢えて写真は載せないでおきます。

気道確保の方法は他にも色々あり、現在、米国のスポーツ救急医療では、意識のない患者に対してはむしろ徒手でなく道具を用いた気道確保のほうが一般的になってきています。OPA(↓写真右)は挿入に3秒とかからない、シンプルで手軽な道具ですし、NPA(↓写真左)という鼻から挿入するゴム製のチューブは、顔面骨折を伴わない場合であれば患者が意識があっても使える、非常に便利で効果的な道具です(こちらについては以前トレーニングジャーナルの連載記事で詳しく書かせていただいたのでこれも割愛します)。
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道具を口や鼻に挿入することすらあれど、我々が指を患者の口に突っ込むことはまずありません。敢えて言うなら、患者が意識消失状態で嘔吐をし、吐しゃ物が口の中にあってそれを排除しければいけない場合にやむなく小指を使って掻き出すくらいでしょうか。それにしたって、suction deviseというポンプ状の道具があれば、そちらを使って吐しゃ物を吸い上げるほうが効率が良いです。つまるところ、「医療のプロでもよっぽどの必要性が無ければ患者の口に何かを突っ込むようなことはしない」ということを知っていていただきたいのです。

●てんかん発作の対応
「口に突っ込む」ついでに、てんかん発作の対応についても。昔は「てんかんの患者が発作中に舌を噛んではいけない」という考えから、発作中の患者の舌をつかんで引っ張ったり、口にタオルを入れることが推奨されていたこともあったようですが、今はその全てがガイドラインから外されています。発作中の患者の舌をつかむと自分が怪我をする恐れがあったり、口にタオルを入れると窒息の原因になる、という理由からです(日本てんかん協会のウェブサイトによる推奨事項はこちら)。下の写真のように、てんかんの発作中には患者を押さえつけたりせず、周囲のものにぶつかって怪我をしないようモノをどかし、静かに発作が収まるのを見守ることが重要です(プロの医療従事者ならば、時計を見て発作の長さを記録していくことも重要です。5分間たっても発作が収まらない場合は救急車を呼ばなければいけませんから)。発作中に失禁を起こしてしまうことも珍しくありません。周りに人がいるならば、プライバシー保護のために退室を促すなどの気配りも重要です。
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●本当にてんかんなのか?てんかん発作「のような」痙攣の落とし穴
もうひとつ、混乱させるようなことは書きたくないのですが、こちらも非常に重要だと思うので言及しておきます。こうしててんかんの発作について正しい知識を持った人に起きてしまうかもしれない悲劇のひとつに、「心不全患者の対応を見誤る」というものがあります。…というのも、心不全で心拍が停止した患者がてんかんの発作のような痙攣運動をする("seizure-like activity")ことは決して珍しくないからです。

興味がある方は、1990年にバスケットボールの試合中に心不全で倒れ、そのまま命を失ったHank Gathersという選手の発作の動画をご覧ください。

これを見て、果たして何人の非医療従事者が「てんかん」ではなく「心不全」だと思いつけるでしょうか?この患者に対して「ああ、てんかんかなぁ」と思い込んで、痙攣の停止を悠長に待っていては手遅れになります。知識のあるアスレティックトレーナーならば、てんかんの発作既往歴があり、この発作が120%てんかんが原因であると断言できる場合以外は(=つまりそんな状況は恐らく絶対にあり得ないでしょう)、周りの人間にAEDを持ってくるよう指示をだし、まずは脈の確認をするはずです。くどいですが、医療従事者は常に冷静かつ沈着に最悪のケースを考え、優先づけて対応できるように訓練を積んでいるのです。

●餅は餅屋、スポーツの救急医療対応は救急医療対応のプロへ
これだけの内容を、非医療従事者の方に全て覚えて対応してもらおうなんて、私は全く思っていません。今回一番書きたかったこと、それは、「救急時の対応はプロにぜひお任せください」ということです。

スポーツの現場にいる選手や指導者の皆さんに、無礼を承知でお願いです。怪我をし、倒れている選手には駆け寄って無理に動かしたりせず、「数歩距離を置いて見守る」という行動を通じて、我々の手助けをしてくださいませんか?受傷時の選手の倒れ方や受傷後の選手の身体の動きから障害が絞れることもあるのです。現場の医療スタッフの視界をなるべく遮らず、駆け寄りたい気持ちをぐっとこらえて、プロの知識と力を信じてくださいませんか?我々は現場のプレッシャーに影響されることなく鑑別診断をおこない(=可能性のある障害を頭でリストアップし)、効果的に確定と除外を行い、最短の時間で最善の判断をするように訓練を受けています。全ての命を守ることは不可能かもしれません。それでも我々はスポーツの現場をできる限り安全にしようと、日々ライセンスとプロとしての使命と誇りをかけて仕事をしています。そして自惚れと言われるかもしれませんが、スポーツの現場の「瞬発力」と「救急判断力」に関してはアスレティックトレーナーの右に出る者はいないとすら私は思っています。
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もし、今の皆さんのスポーツの現場に我々のような対応ができる医療従事者がいないとしたら、それこそ皆さんが声を上げ、行動を起こすべきです。中学校、高校、大学、アマ、プロを問わず、安全にスポーツをするためにはアスレティックトレーナーのような専門教育を受けた人間の存在が必要不可欠です。そんな人材を雇うのは無理だって?そんなことはありません。例えば、早稲田実業学校(初等部、中等部、高等部)には小出敦也ATCという私の先輩にあたるアスレティックトレーナーさんが勤務してらっしゃいます。前例など、いくらでもあります。皆さん、車の運転をするにあたって保険に必ず入りますよね。スポーツだってそれと同じだと思いませんか。安全への先行投資って、万が一のことが起こったときに、ああよかったやっておいて、と非常に有意義に感じるものではありませんか。野球で打者がヘルメットを被るように、アメフトで選手がショルダーパッドを着るように、サッカーで脛あてをするように、ラクロスでアイガードをするように、全てのアスリートにはアスレティックトレーナーがいて然るべきと私は思っています。非常時でなければでしゃばりません、後ろから皆さんの様子を静かに見ています、その代わり、何かがあったときは一番に皆さんの下へ駆け付けますから。買える安心を、実現できる安全を、手に入れないのはどうしてですか。
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  by supersy | 2017-03-06 17:10 | Athletic Training

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