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ピンクと水色の間で。

アメリカATという業界人口の半分以上は女性だけれど、まだまだNCAA最高峰と言われるDivision Iの現場やプロの世界は男社会。学生時代や就職活動中、実力が足りなくて選ばれないならともかく、「女性の人は募集していないから、ごめんね」と仕事やインターンを断られた経験は私にも山ほどあり、そういう言葉を他でもない仲の良い友人らから言われたことも数多くある。「どんなに女性側がプロフェッショナルでも、関係ないんだよ。選手はヤれるかどうかしか見ないからさ」「ないわー、うちは女はないわー」「女の人は、めんどくさいんすよ」。そう面と向かって言われた時の私のハラワタがどれだけ煮えくり返っていたかは、皆さんの想像にお任せする。まぁ敢えて言うなら美味しい鍋焼うどんが鍋三つ分くらいは煮えたと思う。

女はめんどくさいってなんだ。それを言われて私はどう受け止めればいいのだ。

私が何千時間、何万時間とかけて培った知識と技術は、たかだか10cmだか20cmだかの臓器が飛び出していないからという理由で、無かったことにされるのか。そんな理屈が通ってたまるか。

煮えくり返ったものが時間をかけて少しずつ冷めはじめて、ふと空しくなった。悔しいとどんなに地団太を踏んだところでどうにもならない。男女差別です、法律違反ですと声を上げてもしょうがない。そういう文化にどっぷり飲み込まれた彼らは、そういう発言をすることが間違ったことだとすら自覚していないのである。なんといったって、私の友人ですらそうなのである。ペニスありき、ペニスこそ全てと思っている人たちとは、こちらも気持ち良く仕事ができるわけがない。私はそういう舞台で勝負をしていない。

行ってみたかった世界は、私が受け入れる準備をしていた理不尽さとは全くスケールの異なる、タールのような泥沼から成っていた。私は、行ってみたかったと思っていた世界に行くことなく、その世界をくずかごへ捨てることにした。この無念さは、とても言葉では表しきれない。

これがきっかけになったかどうかわからないが、私は仕事をする上でどんどんジェンダーレスな像を理想とするようになっていった。元々女らしいほうではなかったが、化粧もマニキュア・ペディキュアもせず、爪は短く切り揃え、髪はさっとひとつにまとめるだけで、ピアスは飾りっ気が無くシンプルなもの、カーキのズボンは足を出さなくて済むようなるべく長いものを選んだ。身体のラインが出ないよう、わざと少し大きめのTシャツやポロを着るようにした。他人から批難を受けたときにも感情的にならず、客観視して、論理立てた解決法を提案するようにした。座る、立ち上がる、テーピングを巻く、掃除をするなどの際にはできる限りてきぱきと動き、その所作全てに女性らしさが出さないようにした。クリーニングに出したばかりのスーツで汗まみれの選手を担ぐとき、突然のゲリラ豪雨が襲ってきたとき、泥だらけの地面に膝をつくとき、選手の吐瀉物を処理するとき、躊躇わず一気に仕事に食らいつくようにした。その効果があったのか、「Syのこと最初Gayかと思った」と言われた回数は1回や2回ではない(これは喜ぶべきことだろうか)。

プロとして長く仕事をするようになり、自分の中で柱が一本確立されて、長らく自分が女であることに対するあの呪いのような感情も忘れていた。そんなころに、ぽつりぽつりと日本での仕事が舞い込むようになってきたのである。異世界に足を踏み込むと気が付く。見渡すとあちらにもこちらにも、アメリカとはまた違った種類の男女差別がここにはある。

日本のスポーツ界・医療界は独特の、異様な空気感がある。いや、スポーツ・医療界に限定した話でもないのかもしれない。仕事場でも勤務時間外でも、同じ空間にいる男性と女性とでは求められる役割が違うものなのだとありありと実感している。講習会では「女性ならお化粧くらいしないと失礼だよ」、懇親会では「女は飲み会でお酌の一つもできないと」と言われるし、女性専用車両がないと成り立たない世の中も異常だ。コンビニに入ったら一番に目に飛び込んでくるのはエロ本の山。電車の釣り広告にも水着の女性。女性はどこにいっても性的搾取の対象だ。ハッキリ言って、きもちがわるい。

男性諸君、少し想像してみてほしい。コンビニに入ったらぴちぴちブーメランパンツのイケメンおにーさんモデルが股間をもっこりさせて挑発的なポーズを取っている雑誌が立ち並び、それをおばさんたちがむさぼるように立ち読みしていたら、身の危険を感じやしないか。スポーツ観戦に行くと、女性選手が汗を滴らせながら一心不乱にボールを追いかけているその横で、例の股間もっこりダンサーたちが、毛深い足と野太くも黄色い声を高々と上げながら試合の応援をしている。そして、横のおばさんたちは「目の保養だわー」とそれを撮ってSNSに上げるのだ。大袈裟なようだが、これが日本で女性として生きるということだ。

話を仕事に戻す。日本で依頼されたとある仕事を(内容云々というよりはタイミングが悪かったので)お断りさせてもらおうかな、と少し悩んでいたときに、男性が20名以上いるその舞台に女性がひとりもいないことに気が付いてはっとしたことがあった。私が「米生活の長いゲテモノ枠」として起用されるなら、それでもいい。それを利用してでも、女性がひとりこの舞台に立つことが重要なんじゃないか、と思って結局その依頼は受けることにした。

ゲテモノ枠、上等である。私は「アメリカ帰りの空気の読めないニンゲン」としてこれからもバリバリ仕事をしよう。自分が女性であることを忘れたふりをして、男性の舞台にズカズカ上がっていこう。そうして開く扉があるなら、そこから後に続く日本人女性も出るかもしれない。こういう役割をこなす人が、業界にひとりくらいいてもいいだろう。

あまりフェミニストという言葉は好みではないし、自分をそういったコミュニティーの一員だとも捉えたことはない。我々は女性なんだからこういう風に特別に扱われるべきだとも思っていない反面、男女は同等だとも思っていない。男女は身体の造りが違うのだから、どうしても越えられない、普遍的な性差は必ずある。それを無視して、さも違いが全く無いかのように振る舞うのは無理があるし、かといって女性が男性ばかりに「我々はか弱いのだから配慮せよ」と一方的に迫るのもおかしな話だ。

平等ではないのだから、平等に扱えとは言わない。男性から何かを貰おうとも、奪おうとも思わない。ただ、女性が工夫することを許容してほしい。

もし、「重たいものを持てる」ことが仕事の必須条件で、その仕事の最終選考に残った男女ひとりずつが筋力以外の観点からは全く同じレベルの能力を有していたとしよう。力の強さを考慮に入れた結果男性候補者のほうが優れていると判断され、男性が最終的に採用になることについて、私は文句は言わない。しかし、女性が「本当に重たいものを持つ必要があるのでしょうか?職場環境をこのように変え、道具を使用することで、重たいものを持つ必要がなくなるのではないでしょうか。それによって、仕事そのものの効率もこれだけ上昇します」と提案したとしたら、せめてそれに耳を傾けてくれる世の中であってほしいと私は思う。

発想こそ、平等である。前述の筋肉モリモリ男性だって、この柔軟な発想はできるはずである。女性の専売特許などというつもりは毛頭ない。

男に生まれてくればよかったと心から思ったことは一度や二度ではない(性同一障害というのとは違うと思うが、「男だったらこの業界でどんなことができていただろう」と想像してみることはよくあった)。しかし、この歳になるともうそんな考えもしなくなった。私が女性であるということは紛れもない事実で、今からでも変えられますけどどうしますかァと神様に声をかけられても今さら変えようとは思わない。女性であることも利用して、うまいことやって生きていくしかないのだ。

しかし勘違いしてほしくないのが、これから歩みを進めていく中で、「私は女なのよッ!」とわざわざ一歩一歩主張して歩こうとも思っていない、というところである。「私が女性である」ということは「私の好きな色は黒である」「犬派よりはネコ派である」などのその他の「わたし」を構成する要素のひとつでしかなく、「わたし」そのものではないのだ。ある日突然私が女性でなくなったとしても、私は残りの私の欠片を集めて、私を再び見つけて生きていく。だから、「Women Rule (女、サイコー!/女こそが正義)」みたいなTシャツを着て練り歩こうとは思わない(正直言うと、そういうことをすると男性の敵を増やすだけなんじゃないかと思ってしまう)。

どんなに控えめに見ても、現時点でこの業界でやっていこうと思ったならば、女性であるということが不利に働くことの方が多いのは不動の事実。ならば周りを凌駕し、ぐうの音も出させないほどの圧倒的な実力を持つしかない。業界で自分自身が唯一無二の存在になるしかない。その仕事なら阿部さんがいるよ、阿部さんに聞いたらきっとわかるよ、阿部さんにやってもらえばいいじゃん、と言ってもらえるようになるまで、業界のニンゲンの大半がぐーすか寝ている時にもmidnight oilを燃やして日々コツコツと勉強を続けるしかないのだ(いやまぁ、これはモノの例えで、寝るのは好きなので寝られるときは寝るけれども)。圧倒的な実力には男性も女性もあがらえない、というのが今のところの私の答えだ。現時点では、悔しいけれど、知識レベルも技術レベルも、まだまだ自分の納得いくところまで達していない。しかしながら、同じ「悔しい」という表現を使ってみても、この「悔しさ」は冒頭の無力感を伴う「悔しさ」とは全く違う、もっとワクワクする「悔しさ」だ。あっもしかしたらこれが、オラ、もっと強いやつと闘いてぇ!というやつだろうか(違う?)。

まぁ私が勉強を続けるのは単純に勉強が楽しいからで、「ざまぁみやがれ男ども」と思いながら毎日学んでいるわけではない(そこまで心がすさんでいたとしたら、さすがに自分で自分を軽蔑するかもしれない)。とりあえず、ここまで勉強を続けてみて、分かることが増えたら、その倍の速さで分からないことのほうも増えるのだということが分かった。いつかこの業界の全てを学びつくしたと言い切れるようになるか、全く別の分野で新たな情熱を見つけるか、体力の限界が来るその日まで、これまで通り自分に合ったペースで学び続けてみようと思う。いやぁ、女らしいネチネチとした文章を、失礼した。

  by supersy | 2017-09-11 23:30 | Athletic Training

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