PRI Vision in St Paul, MN。

PRI理念に対して「人間をパターンに当てはめること、人間にラベルを張る行為は人を無力化する行為である」という批判を目にしたことがあります。Labelingは人の弱みを可視化、不必要に強大化するという論理は心理学をかじったものとしてよくわかりますが、患者が何者なのかをidentifyせずに治療を開始することはできませんし(そんな闇鍋を差し出すような医療はプロとして提供すべきではありません)、症状に名前を付ける=診断という行為そのものにLabelingという要素が入ることはどうしても避けられません。加えて、(PRIを代表してこの文章を書くつもりはないのであくまで私の個人的な考えとさせていただくとして)私が信じていることに「我々の動的、感覚的input/outputは神経シグナルの伝達によってcarry outされており、これらの神経系の発火はパターン化されていればいるほど効率が良くなる」というものがあります。
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皆さん「けものみち」という言葉を聞いたことがありますよね?元々は道もない、鬱蒼と茂った森が、獣が一度、二度と通るにつれて徐々に道になっていく。そのうち植物がなぎ倒され、地面が踏み固められ、見通しもよくなって、獣はその道しか通らなくなることでしょう。人間の神経回路にも同じことが言えます。例えば、椅子から立ち上がる、シャツを着る、靴を履く、歯を磨く、車に乗り込みエンジンをかける…こういった日常的に繰り返される行為は自分の身体の中に深く習慣として徐々に根付き、いちいち毎回個々の関節を何度内旋、外転、屈曲して…おっといきすぎた…などと細かくfeedbackメカニズムを使って慎重に実行しなくても、feedforwardメカニズムを介してほぼ自動的に勝手に身体のほうが動いてくれるようになります。神経回路の発火がプログラミング化される、同じ発火を繰り返すうちに神経のけものみちが作られる…これがPRIのいう「パターン化」された状態だと私は理解しています。
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物理学で皆さんが習ったように、世の中のものは最も抵抗が少なく、最小の労力と最短の時間で進める道を自動的に選択する常があります。電気や光がいい例で、人間の神経回路も例外ではありません。そういう意味では、パターン化そのもの(=最小に見える労力で目的を達成するための好みの神経発火回路が存在するということ、つまり「習慣」「癖」があるということ)自体は全く問題ではありませんよね。問題なのは、一本しかないけものみちが深く深く掘り下げられてしまい、そこからハマって出られなくなってしまった状態、そして他のものを選ぶ選択肢が全く閉ざされてしまった状態です。これは、以前にAvailabilityとVariabilityについて書いた記事 でも言及しましたが、状況に合わせて複数の選択肢の中から(=availabilityがある)適切なけものみちを選び、好きに行き来できるような状態を作る(=variability)のが(別にPRIに限ったわけではなく、どんなdisciplineでも)治療の最終目標であるべきだと私は考えています。

患者さんと相対し、この人は一体いくつのどんなけものみちを持っているのか?その中からどれを選びがちという好み・癖があるのか?それらの選択肢は健康的か?そうでない場合、異なるcontextで必要に迫られれば他のけものみちを選ぶ能力はあるのか?そんなことを診断していくのがPRIの診断アルゴリズムです。患者を無力化しようとしているわけではなく、どのけものみちをいったん通行止めにして、新しいこっちのけものみちにも導いてみようかしら?と色々プランニングするための欠かせぬ一歩だと私は理解していますし、それを患者に分かる言葉で説明する義務も私にあるとも感じています。もしそういったステップを全て無視して「L AIC, R BCパターンですね」とだけ言って患者を脅かし、混乱させ、どや顔をしているようなセラピストがいるとしたら、そんなクリニシャンはPRIの基礎理念どころか医療というものを全く理解していないことになると思います。医療は相手をいたぶるドッヂボールではない、キャッチボールのはずですから。我々と共にPRI講習を受講してくださった勤勉な方々がそういう勘違いをしているとは思えませんけれども。



なぜこんなことを今更書いているかというと、今週末はミネソタはSt Paulに来ており、Postural-Vision Integrationの講習に参加しているからです。この講習では、いかに視覚が全ての感覚の中で支配的なものであるか(脳が処理する感覚情報の70%は視覚というのだから驚き!)、歩行の一つひとつのphaseに、どう視覚情報が関わってくるか、視覚が他のシステムを上書きして感覚全般をdominateしてしまっている患者にどういった介入ができるのか…ということを学びます。つまり、一定の視覚情報に頼り、それによって作られたけものみちしか通らない人への治療法ってことですねー。
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PRI創立者のRonと眼科医のHeidiのダブル講師というとても豪華な講師陣で、受講者にはPRIのベテランも他の眼科医やVestibular Therapistも入り乱れてわいわいやりながら、ものすごーく有意義な時間が過ごせました。ひゃー、めちゃめちゃ楽しかった。私は眼科専門ではないので、眼に特化したこの講習は知識的に準備不足な気がする、まだ時期尚早なのでは…という不安感と、スケジュール的になかなか取れない(年に4回くらいしか開催されない)のとでもうここずっと3年くらい受講実現に踏み切れずにいたのです。いやー、でも待った甲斐はあったかも。私自身のPRI基盤がしっかりしたお陰で今回の内容を取りこぼしせず全て吸収できた気がするし、Visionの講習そのものも洗練されてきてここは教える、ここは教えないというバランスが丁度よかった。
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Focal vision(中心視野)ではなくperipheral vision (周辺視野)に注目し、右と左、どっちの周辺視野をどう広げるかというディスカッション、そしてそれをgaitに絡めて解いていくプロセスは非常に面白かったです。歩きながら、周辺視野を使ってobjectを(視覚的に)掴んでぐっと一歩一歩前に進んでいく(peripheral contactからのperipheral optic flow)という感覚は説明されてみてなるほど!と膝を打ってしまいました。歩行に伴い周辺視界が前から後ろへ、右から左へ、左から右へ流れること…現代ではそんな当たり前のことがトレッドミルやスマートフォンなどの普及でどんどん減ってきているのかな。Sitting is smoking, という記事を昔どこかで目にしたけど、Gazing (at iPhone, tablet) is smoking、ということも言えるかもしれませんね。
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「眼球運動は頭部と頸部の運動とは独立して起こるべきものである」「Extraocular muscles(EOM↑)はその小さく柔らかい眼球を動かすのに必要な300倍の力を有している。つまり、EOMはCraniumに対して眼球を動かす(globe on orbit, GO)だけではなく、眼球に対してCraniumも動かす(orbit on globe, OG)ものであると考えるほうが理にかなっている」ってとこがめちゃめちゃ面白かったです。Visionをクリアにシャープにしていこう、というのが眼科医の一般的なアプローチだと思うんですけど、患者に慣れ親しんだけものみちを「深く掘り下げすぎない」「いったん忘れてもらう」ために、visual disturbance(視覚的障害)を作り出して通いなれた道を少しの間封鎖し、その間に新しいけものみちを見つけ、探検・散策してもらう、というアプローチは実にPRI的眼科医、つまりHeidiっぽいかと思います(笑)。RonにHeidi、楽しい講義をありがとー!
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ちなみに少し観光をする時間もあったので、ホテル近くのComo Park Zoo & Conservatoryに足を運んできました。
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足元に雪も残っていて、湖も凍っていてそりゃー寒かったけど、少し日常を忘れてゆっくりできてよかった。さて、これからテキサスへ帰ります。学期後半がはじまるー。

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  by supersy | 2017-03-19 17:45 | PRI | Comments(0)

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