人目は、気にしろ。
…と、英語でもよく言われますが、私は誠意を持ってこれに反対したい。
人目は、気にしろ!
若い頃は矢印が全て自分に向いていてもいい。自分の根っこを伸ばすのも大事。
でも、ある程度の年齢になってキャリアも重ね、枝をこれから上へ上へ伸ばしていこうという時期になったら、そして他人と関わる仕事をしているなら尚更、他人が自分をどう見ているかを想像する力があるかないかは、プロとして非常に重要な能力だと思います。
彼らは、学校外の理学療法クリニックでの実習を始めるお年頃なので、
特にこういうことを考えるようになってほしいタイミングだからです。
「例えばさ」
と、毎年学期の始めに2年生を集めて話をします。
「皆が私と初対面だとしよう。皆は学生として私の授業を履修することになった。学期初日、皆が少し緊張して教室に早く着きそわそわ待っている。そこへ教授の私が少し開始時間から遅れてやってくる。服はヨレヨレ、髪はボサボサ、コーヒー片手にあくびしながら仏頂面で『初めまして、今日からこの授業を担当するSyと申しま…ふわぁぁ』とやっていたらどう思う?」
「恐らく皆は無意識に私を自分が既に知っている他の教授と比べるだろうね。そして思う、『うわぁ、なんか変なのに当たっちゃったな』って」
「もし皆が『大学教授』という人種を初めて見る場合はもっとタチが悪い。比べるものがないんだからね。きっと皆は『大学教授って皆こんななのか』『大学ってこういうところ?』『何これ…がっかり』と失望するかも知れない」
「それは何でかな?私が君たちに言語でない(non-verbal)メッセージを送ってしまったからだ。ヨレヨレの服とボサボサの髪は『私は貴方に今日会うのを知っていたけれど、それほど大切なことには思えなかったのできちんと身支度を整える時間を費やしませんでした』というメッセージを、あくびしながら遅刻して登場した上での挨拶は『なので授業にも別に準備をしてきませんでした。別にどうでもいいし』というメッセージを送ってしまってる。言語でないメッセージは、時に言語メッセージよりも強いコミュニケーションツールになり得る。そしてそういうネガティブなメッセージをモロに受け取った皆はきっと良い気はしないはずだ」
「ここで少し考えてみよう。もしかしたら、これは本来の私の姿ではなくて、隠れた理由があるのかもしれない。例えば、実は私が初めて教えることになったこの授業が楽しみすぎて、昨晩は緊張と興奮のあまり眠れなかったとか、もしくは恋人と昨日今世紀最大の喧嘩をして一睡も出来ず、人生最悪の日を送っている真っ最中なのかも知れない。それが分かれば、皆も同情するかもしれないね。それなら仕方ないって」
「しかしさ、残念なことにこの状況でそういうプライベートなごたごたとした事情は単純に君たちに関係ないんだ。もちろん身内に不幸があったというような極端な場合は例外としても、皆は今日学生として授業を受けに来てる以上、私はプロの教授としてやるべきことがある。学生は高い授業料を払っているんだ、教授にはそれなりの対価のある授業をしてもらわなくちゃ困るよね」
そんなことはないと思います、と答える学生たち。
「その通り!第一印象は一過性のあるものだし、挽回も可能だ。真価とイコールじゃない。長い学期の途中で『あれっ、この教授面白いじゃん』『すっごい知識あるじゃん』って思い直せることだってある。でもそうなるためには学生が根気強く授業に通ってくれるということが大前提だ。最悪の初日の後に『こんな教授は願い下げ』とこの授業をdropする学生がもしいたとしたら、第一印象は唯一の印象、つまり事実になってしまう。少なくともその学生にとってはね。『あの教授、ひどいよ』で終わりだ」
「ここがある意味一番厄介なところなんだよ。第一印象はあくまで第一印象。変えることはできる。でも、いつも変えられるとも限らない。『たまたまあの日は…』と後で言い訳しても、受け取り手がいる以上、印象がひっくり返るかどうかは我々が決められることじゃないんだ」
「君が『私は人を見た目で判断しない』と心がけているならそれは素晴らしいことだし、
是非続けるべきだけれど、君自身がボサボサの頭でヨレヨレの服でギンギンのタトゥーと
ギラギラのピアスをして鼻水たらしながら『私を見た目で判断してくれるな』と他人に
要求するのは別のことなんだ。プロになるんだったら『こうしたらこういう風に見られるかな?』
『こういうメッセージを送ってしまわないかな?』と考える能力は必要不可欠だよ。
皆にもふと手を止めて、やる前に考えられるようになってほしい。
How others see you is NOT everything, but it is IMPORTANT ENOUGH!」
患者と話す時にセラピストがケータイをいじりながら目も合わせずに相槌を打つのと、
患者の目を見ながら前かがみにうんうん、と頷きながら聞くのとでは、
送っているメッセージが違う。当然、印象も変わってくる。
前者は「whatever」だし、後者は「I care about you」である。
別にどちらが悪でどちらが善というわけでもないけど、貴方の意図と送るメッセージは
一貫性があったほうが良い。「I didn't mean it」は通用しない。
つまるところ、私は本当に「人目を気にしろ」と思っていると言うよりは、
自分を客観視できる力は持っているべき、と言いたいのかも知れません。
以前から何回か書いていることではありますが。
もう少し現実的な話をします。
知人から聞いたのですが、どうやらとあるローカルなATさん(ライセンスも持っているプロの方)が、
某セミプロのスポーツチームで“ボランティア”として働いているそうです。
去年まではこのチーム、安給料ながらちゃんとお金を払って雇っているパートタイムのATさんが居ました。この人が(別事情で)いなくなったので『新しい人を探している』と噂には聞いていましたが、まさかボランティアとしてやり始めた人がいたとは。
これは、我々ATからしたらものすごく迷惑な行為です。
私たちは私たちがプロになるための訓練を積み、知識と経験を重ねてきた自負があるし、
私たちが行う仕事はまた、他人からお金を受け取るだけの価値のあるものだと信じています。
お金を受け取るからこその緊張感や責任も伴われてくるし、
逆にお金以上のものを提供したいという向上心も生まれます。
しかしこのローカルATさんの場合は…、
恐らく本人は経験のため、履歴書に書くためにやっており、「自分の未来に繋がればいい」と考えているのでしょうが、彼自身が『無償でボランティア』という行為で世の中に送っているメッセージは「私の提供するサービスにはお金を払う価値はありません」なのです。
これに味を占めたこのチームはこれからATにお金を払おうとは思わないでしょう。
また同じようにカモを見つけて、ただで働かせようと考えるでしょうし、
似たような財政難にあるセミプロのチームたちも「あそこがそうやっているんだから」と自チームのたちにも同様に求め始めるかも知れません。そうして『ボランティア』行為の比重が上がってしまったATさんが本職を疎かにしてしまうようなことがあれば本末転倒もいいところです。
「自分の未来に繋がればいい」と思ってした独りの行動で、この職業そのものの芽が摘まれてしまうかも知れない。人目を気にするクセがついていれば、こういうことにも気づけるはずなのに。
印象はただ意識せず撒き散らすだけではダメ。
自分がこうなりたい、ああなりたいという理想があるなら、それに近づくためにどういった印象を与えるべきなのか、そしてそのためには具体的にどういうことができるのかを考え、試し、実行することもプロ意識の重要な一部分だと思っています。もちろん、知識が技術が伴ってこそ最終的にホンモノになるわけですが、自分が本当に正しいと思う印象を選んで創り、与えることは誰でもいつでも始められる。
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これを呼んでいるAT学生さん、
明日の実習・現場へはどういう服装とどういう髪型で行きますか?
AT facilityに足を踏み入れたその一歩目で、どういう表情で、どういう姿勢で、
どういう声のトーンで、どんな挨拶をしますか?
それを選手が、コーチが、上司が、同僚が、
たまたま通りすがった人が見たらどういう印象を受けるでしょうか?
「あいつはこんなやつなのかな」「ATってこういう職業なんだ」
そのメッセージに一貫性はありますか?
我々は、人目を気にして、人目を利用してこそ、
この職業を一段階高いレベルへ押しやれるのではないでしょうか。
いつでも胸の張れる仕事をしましょう。背筋を伸ばして、声に芯を通して。
私たちは常に見られ、判断されているのだから。
by supersy | 2014-07-16 13:00 | Athletic Training